投稿日:2014/10/07

御嶽山の噴火は、3.11に続く人間という存在に進化を促すメッセージだったと思います。
そう考えている人は世の中にたくさんいると感じるけれど、マスコミは相も変わらず、なんでこんな悲惨な目に。
あまりに無情な死に残されたものは悲しみに暮れている、という感情的な画一的な報道に終始しています。

人間は必ず死にます。誰も、どんなことをしてもその運命からは逃れられません。
その死がどんな局面で訪れようとも、死はすべての人に等しい重さです。

事件でも事故でも災害でも病でも、悲惨に見える死でも穏やかな死でも、魂はその役割を全うし肉体を脱ぎます。
どんなに若く死のうと、長生きしようと、各々に、その魂は今生の役割を全うしたのです。

晴天の土曜日、たくさんの人が登山しているタイミングで起こったこの災害は、皮肉なことに、ここまで進化したデジタル技術の凄さを見せつける記念碑的なものになりました。
私たちはこの災害に直面した人々が中継する報道番組を見せられたのです。
噴火発生時にごく近い時点でテレビやネットで流された様々な映像の中には、自分が置かれた状況を把握できていなかったとしても、あまりに軽い言葉や雰囲気の漂う映像が数々ありました。
その軽さと現実との乖離のなんとも言えないもの。
人間という存在の持つ未熟さをありありと映し出して、「さあ、これを見てどう思う?」という問いかけを突きつけられた思いがします。

映像やネットをここまで発達させた神の意図を考えずにはいられません。

そういう意味もあり、一連の御嶽山報道で私の記憶にくっきりと残ったのは、気象庁の火山噴火予知連の記者会見。
その席上でニマニマと笑う高官を心底あわれに思いました。

テレビやネットが映し出すものは、恐ろしい。
教養や地位や名誉がどんなにあろうと、霊性が一瞬で現れる。

ここまでデジタルを発達させた神の意図は、そういう姿をまざまざと見せて、何を受け取りますか、ということなのかもしれません。

これからの時代、テレビやネットが映し出すものは、その存在の質。
それは、映そうとしなくとも、自ずと漏れてしまうもの。

どんなにキレイな衣装を着ようと、最新のメイクを施そうと、その質はごまかせません。

いよいよ、本質磨きにしかキレイをつくる道はないのだと思います。

イラスト 岡本真実・テーブルの上の静物 「岡本真実アートギャラリー」はこちら

マツイミユキ

コピーライター。
広告制作プロダクション、広告代理店勤務を経てフリーに。 我が強いくせに、気が弱いという二面性をもてあましながら仕事に励む日々。 尺八を習って10年という誰とも共有できない趣味と、茨城、笠間のガーデン・カフェに時々スタッフとして出没するという、自分でもよくわからないダブルワークを敢行中。




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