投稿日:2015/01/22

お正月を田舎で過ごしたという方、多いと思います。
「実家」=懐かしくも優しく、そしてうっとうしく重たい。確かに、そこには愛情が満ちているけれど、同時に自分が過去に置いてきた、もう必要のない物や事や思い出も満ちている。

で、今回取り上げるのは実家に満ちている「物」のこと。
最近、テレビ等でも取り上げられていますけれど、年老いた両親が亡くなった後の実家の片付けが、とんでもないことになっているというお話。

日本は戦後70年平和に暮らし、田舎の善良な市民、大多数の階層の人々は、食べるものには困らず、贅沢はしないまでも、「あってもなくても困らないもの」を何不自由なく買い求めるということができるようになりました。

審美眼を駆使し、本当に必要なものだけを選び取って生きる、などという高潔な生き方ができるのは、品格と霊性を兼ね備えた本当に一握りの方々。
所有欲と呼ぶにはお利口過ぎるほど、曖昧でメリハリのない意識に選ばれたその物達は、何食わぬ顔で「田舎の懐かしき我が家」に鎮座しています。

何より厄介なのは、その余分な物の放つエネルギー。
ホコリやゴミの類なら、体力勝負で片付けられますよ。
けれど、一家の歴史や思い出や執着や諦めや見過ごしや、それはそれは、あらゆるものを背負った物達が発散する、何とも重たく、頑固で、凝り固まってしまったエネルギーをお掃除するのは大変!
身体もきしむが気も滅入る。
どこから手をつけていいものやら途方に暮れるってやつです。

ここで、はたと私考えてしまいました。
過不足ないということはなんと素晴らしいことなのだろうと。
不足はダメ。でも余分もダメなのです。
満たされるって、ともかく所有するって思いがちだけれど、過剰に余分に有るものが発散するエネルギーは美しくない。
チャラチャラとヒラヒラと余分なレースとかついている服が嫌いだったのはこの心理か、と思い至った次第。
思えば人もそう。
過剰に愛想良かったり、言葉巧みだとゾワゾワするってもんです。

過不足ないとは、満たされるということ。
満たされているものは美しい。

そんな真理を導き出し、実家に鎮座する余分なものの山に見入っていたわけだけれど、
真理は導き出されても、物は片付くわけもなく・・・。
やれやれです。

余分なものは美しくない、という結論を引き出したところで何ですが、反対に、トゥーマッチ過ぎて、それが一周して凄みになって美しい、はあると思う。
そこには命がけがあるから。
これしかない!のほとばしりが過ぎて、うざったいほどの意志があるから。
その強さは美しい。
多分プラマイ0の出発じゃないのだと思うのです。
マイナスからの出発。
命がけでマイナスを埋めた満たし。
思えば、戦後の日本の光景はそういうことだったのだと思います。

それが、どこから余分に転じたか。
命がけを忘れた遊びに転じたか。

その昔、コピーライター養成講座で「愛」という概念をコピーにしたら、というお題を出されたことがありました。
その最優秀は「死んでもいい」。
愛とは命がけなのだと、命がけのものしか愛とは呼ばないのだと、またひとつ真理。

命がけの愛で選び取ったものを身につけ、命がけの愛で選び取ったものに囲まれて暮らす。

2015年念頭、
そんな野望を抱きました。私。

イラスト 岡本真実・オサカナニナッタアタシ 「岡本真実アートギャラリー」はこちら

マツイミユキ

コピーライター。
広告制作プロダクション、広告代理店勤務を経てフリーに。 我が強いくせに、気が弱いという二面性をもてあましながら仕事に励む日々。 尺八を習って10年という誰とも共有できない趣味と、茨城、笠間のガーデン・カフェに時々スタッフとして出没するという、自分でもよくわからないダブルワークを敢行中。




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