「きれい生活研究所」サイト終了のお知らせ

「きれい生活研究所」は2020年10月31日で終了する事になりました。 長い間、ご愛顧いただき有難うございました。


投稿日:2013/01/21




さあ、新しい年を迎えました。
みなさんはご両親と改めて幼いころの思い出に浸った方や、小さいお子様に自分のことやお子様の小さい時の話をして差し上げた方もいらっしゃることでしょう。親子は出来る限り、次世代に思い出を残しておきたいものです。

誰にでも人それぞれに忘れ得ぬ思い出があります

幼いころ、お金持ちの子供に優しくして、貧乏の子供を邪険にする大人の姿が、子供心にとてもいやな気分を感じたことがありました。我家が豊かでいい時には寄って来たたくさんの人たちが、貧乏になったとたん、手のひら返すように、変わる大人の姿を見てきました。今も私はそんな光景に出くわすたびに、幼くても子供心はわかっているということを、知ってほしいという気持ちがあります。

私は職業も、国籍も、貧富も一切関係なく、みな人は平等だという考えで生きています。
だから、受けた悲しみは人にせず、嬉しかったことは人に返して笑顔にさせたい、その根本的気持ちはずっと変わりません。例え、創業した会社が上場していても、私は私です。創業した当時のままです。決して、身の丈以上のことは求めていませんので、背伸びせず、誰とも同じ気持ちでお会いしているのです。ですから今年もみなさんと大いに語り合いましょう。そこで今回、癒された思い出を身近なところから話したいと思います。

VOL.6「未完の贈り物」の著者である私の姪が、このお正月を日本で過ごすために、クリスマスの日から一家5人で帰国してきました。目のないセリちゃんを残しての帰国。両家の祖父母が病気で実家に泊れまれませんで、我家で子供たちだけ3人を預かり、生活を共に致しました。

7歳、5歳、4歳の幼い子供たちの食事、洗濯、公文の勉強持参つきの、始めて預かる珍客に、泣かれたらどうしようとかと思いましたが、なんとかなるものです。
食事でおにぎりを出すと、「これセリちゃんが大好きなのだよ。セリちゃんにあげたいなあ。」とか「飛行機に乗せられないから、お留守番しているセリちゃんに、お土産持って帰ろうね。」という長男に、うなずく弟と妹が手を即座にあげる。聞いていると、会話の中にいつもセリちゃんが登場してくるのです。

この子たちのパパ゚も預けに来た時、「僕は仕事でストレスがいっぱいあっても、セリの学校に行き、彼女の手を握って抱いてくるだけで心が癒されるのです。障害者の子供を持って、人生この世で辛いものは、克服出来るという勇気をセリからもらい、頑張っていられるのです。」
そう言って、本当に愛おしそうに話す言葉に、家族みんながセリちゃんを想っていることに、心が救われたのでした。

癒されるということは、ひとつの言葉、ちょっとした動作からも感じるものなのです。
人生どんな人にでも生きている限り、人を救える役目があることを気付かされました。
この世はみな、人のお陰で成り立っているのです。

子供たちと一緒 笑顔の子供たち
■子供たちと一緒に ■笑顔の子供たち
去年の年納の会に来てくれた森圭一郎君
昨年はいろいろな障害者の方との出会いがありました。
事故で下半身麻痺した森圭一郎も、私の年納め会に来て歌って下さいました。
また、縁あって盲目の歌手 板橋かずゆき君のライブに行くチャンスがありました。
その時、彼の話の中で幼いころ養護学校に行って、親から離れた6歳の生活の中、母親の肌のぬくもりが欲しかったことを、いくつになっても思い出すと話していました。彼の切実な母への気持ちを想うと、泣けてきました。本当に健康でいられることの奇跡を、私たちは忘れてはいけないと、つくづく思い知らされたライブでした。

遠い昔のことですが、こんなことが思い出されました。
私が、14歳で親戚の家で育てられた時のことです。家族と離れたくなくても、高校に通わせてくれるというだけで、行かざるをえなかった家庭の事情。年老いたおばあさんにいじめられ、家に帰りたいといえば、母が困ると思い、我慢して毎晩泣いていた日々に、叔母が隠れて私に買ってきてくれた白いコートのことです。

霜焼けで両手の10本の指がただれて血のにじむその身体には似つかわぬ、まばゆい白いコートを前に、叔母はすまなさそうに小声で、
「おばあさんの前で何もかばってあげられず、ごめんね。許してね。」と泣きながら渡してくれたコートに、ぽたぽた落ちた二人の涙。その時の光景は今でも鮮明に思い出されます。叔母が本当は優しい人だったと分った時は、何とも言えない言葉にならないほど嬉しかった思い出です。

その数年後、おばあさんが叔母を通して私に逢いたいという話があり、お見舞いに行きました。当時の姿と程遠く、小さな姿で布団の上に座っていました。
私を見ると、か細い声で、「あのころ、あなたには本当に辛い思いをさせましたね。ごめんなさい。」と言って、深く頭を下げたのです。人は死を感じた時、心残りなことを正しておきたくなるものなのでしょうか。それだけで、私の中のおばあさんに対するイメージは吹っ飛んで、すべて水に流せ、忘れ去ることができたのでした。
思わずおばあさんの手を握り締めましたが、眼がしらが熱くなり、首を横に振って、ひとことも喋れない私でした。誰もが大変な時代だったのですから、人の子供を預かってくれたということに、今では感謝しているのです。
今の時代、14歳で味わえないことを経験した、私だけの癒された思い出です。

暮れに預かった子供たちは、主人が公文・カラオケ・品川の水族館見学、散歩と公園での遊びを担当。私は食事・洗濯とお風呂を分担。あっと云う間に、1週間が過ぎていきました。
日本語で言っても通じない言葉。土足で入ってくる子供たち。お風呂が気に入って出てこない子供たち。山のような洗濯。食生活の違いで食べられない子、食べ過ぎる子、楽しい生活も時差ボケで、何度か時間が逆転し、午前2時半に3人が起きてルンルン。お腹が空いたと3人に言われれば、寝る時間なのに起きて食事を作る生活。合宿のようで、いい思い出になりました。子供たちの両親も、安心して日本の友人たちにゆっくり会い、癒された思い出ができたと思えば、なんてことない苦労でした。

何事も大変と思えば大変になるけど、こんな体験そうはありませんから、楽しいと思えば楽しいものです。ドラマのような出来事で前半が無事終了したところ、子供たちのママが風邪でダウン。
ママは点滴を受けて、我家にて5人家族が帰国するまで生活をすることになったのです。こんなアクシデントさえ、海外に住んでいる娘が里帰りして来ていると思えば、楽しく思える私なのでした。

姪一家は、双方の実家に帰れなかったけど、この家があって本当に癒されましたって、感謝してくれました。いい思い出を持ってニューヨークに帰り、セリちゃんを筆頭に4人の子供たちのママとして、子育ても仕事も頑張ってもらいたいと、願わずにいられない2週間の子守りでした。帰り際、3人の子供たちからのハグ。あったかい幸せを戴きました。

人生は思い出創りです。
どちらにとっても、思い出深いお正月のなったことは間違いありません。

今も思い出を創り続ける幼稚園からの親友4人組
そうそう、こんな年賀状が届き、とっても幸せな気分になりました。
「5年ぶりに笑顔の家族写真をお届けできるようになりました。」
一時はどうなることか心配だった友人の年賀状が、今年は大きく成長した子供たちとの笑顔の家族写真入り。年賀状に書かれたこの1行がすべてを物語っていました。癒された瞬間です。

やっぱり、人生はすべてに感謝し、すべてのことが楽しい思い出にるできる生き方すれば、必ずすべての道は解決すると思います。

終わりよければすべてよし 

みなさんも新年にこの言葉を思い出して下さい。

森圭一郎さんのオフィシャルページはこちら http://keiichiro.com/
板橋かずゆきさんのホームページはこちら http://www.itakazu.com/
倉本美香さんのブログはこちら http://ny-blog.org/
倉本美香さんがNHKに出演した時の様子はこちら 
http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2012/10/1010.html

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高橋 恵 (たかはし めぐみ)

広告代理店、PR会社、様々な会社の営業を経て、1985年42才で二人の娘さんを抱え、会社を立ちあげる。サッカーの中田英寿選手、38才の若さで急逝したプロウィンドサーファー飯島夏樹さんなど多くのスポーツ選手のマネージメントをしているPR会社「サニーサイドアップ」創業者。
マンションの一室ではじめた小さな会社が、なぜ上場するまでに至ったのか?その秘密は「おせっかい」にありました。現在、急成長した会社は娘に任せ、本の出版や講演会などに忙しい毎日。

高橋 恵 「財団法人 おせっかい協会」
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