投稿日:2014/04/25

今回のテーマ「死を想う」。
いきなり「死」って何を言い出すのって感じですけれど、世の中の規範とか秩序を疑ってかかれ!本質で生きようよ!
それが美しく生きることだもの、を謳う私としては、のっけから、究極を突いてみました。

人間にとって「死」って悪いことだし、哀しいし、忌み嫌うもの。
できたら忘れていたい、というのが普通でしょうけれど。
最近、本当にそうだろうか…?とも思います。

人間100%死にます。
「死」が人間にとって「悪」であるならば、100%の人間が「悪」に向かって生きています。ってことになる。
「悪」が人間のゴール?
神様はそこまで皮肉だろうか。

この前、人間の細胞がいったいどんな働きをしているか、最先端の科学で紐解くテレビ番組があったけれど、あそこまで緻密に、芸術的に、圧倒的に、神がかり的に、人間を創り上げたのに。
あそこまで神経配って、あらゆる能力つかって創り上げた仕事の最終地点が人間にとって悪いことだったって。
私が神様だったら、ふてくされますね。

そう思うと、「死ぬことは悪いこと」という、正しきことも、本当なのかしらん?と思う…。
なーんて、ここまで極論をあれこれ考えていると、違った意味で本質で生きる強い勇気をもらえる気がするのです。

なんにせよ、人間100%死ぬってことは、生まれたときから死ぬ覚悟をもってきたってことです。
その覚悟があれば、たいていのことは出来るでしょ。
甘えてるんじゃないよ。
そう言われている気もする。

けれども、生まれ落ちるその時に持たされる大きなお仕事=「死」が、人間にとって一番悪いこと、って、やっぱり私にはどうしても腑に落ちないのですよね。

先日、私が10年以上という、歳月だけはかけて習っている「尺八」のとある演奏会がありました。
私が習っている尺八は、古典本曲と呼ばれるもので、中世に端を発し、虚無僧、いわゆるお坊さんたちが「祈り」や「鎮魂」のために思いの丈を音に託してきたと言われています。
つまり「死」ととても近いところにあった「音」なわけです。

今回の演奏会の主役は4人の30代の若手演奏者。
イケメン揃いの彼らが奏でる「音」は、実に深いのに、驚くほど爽やかなのです。
それは、前向きで嫌みなく堂々として、古典を深く知りながら、新たなものを生み出す覚悟を固めている「音」。

私のように昭和まっただ中に生まれた人間に比べ、1980年以降に生まれた世代の共通点として「戦っていない」があります。
古いものを壊そうと戦っていないのに、結果、古いものは自ずと消えて、新しいものが生まれている。
疑ってかかれ!などと、ついつい肩に力が入る私などは赤面するばかり。

で、思ったのです。
私が死んだ時に流れる「音」はこういう「音」がいいなと。

彼らの弔う「死」は、悪ではない。

「死ぬことは悪いこと」という究極の規範や秩序が壊すことなく自ずと消えて、「新たな鎮魂」としか言えない「音」がある。
「音」が先に生まれてしまった。
古い概念や秩序に縛れている人間をしりめに、もうそこに、新たな「音」は生まれていたのです。

そーか、こうやって、物事の本質はしっかりと世の表に出てくるんだ。
そう考えたら、何だかとっても嬉しくなりました。

死を想い、本質を磨く。
キレイは思わぬところでつくられるのです。

マツイミユキ

コピーライター。
広告制作プロダクション、広告代理店勤務を経てフリーに。 我が強いくせに、気が弱いという二面性をもてあましながら仕事に励む日々。 尺八を習って10年という誰とも共有できない趣味と、茨城、笠間のガーデン・カフェに時々スタッフとして出没するという、自分でもよくわからないダブルワークを敢行中。




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