投稿日:2019/05/24

ブラジル発「駐妻」に転職しました!
〜 ワーキングウーマン の ポジティブ ラテンライフ 〜

 
アフリカ旅行では、駐在員家族に混じって1組の日系移民のご夫妻とご一緒しました。このご夫妻から生のお話をお聞きするうちに、歴史上の出来事と捉えていた「移民」が身近になり、ブラジルに住むからには知りたい思うようになりました。

ご存知のように、ブラジルは世界最大、190万人の日系人社会があります。(総人口に占める割合は、0.6%)そもそも「日系人」とは?「日本から海外へ拠点を移し、永住の目的をもって生活している日本人ならびその子孫、二世、三世などで、国籍や混血などは問わない」とされています。昨年ブラジルでは、移民開始110周年を迎え、皇室からは眞子様がお越しになり、ブラジル国内所縁の地での式典に数多くご出席されました。

でも、日本では移民の事はあまり詳しくは語られていない気がします。私の不勉強もありますが、学校の授業でも、触れた?くらいの記憶しか有りません。そもそも、なんで移民?なんでブラジル?

私の「薄学」では、日露戦争後の日本には仕事がなく、政府が「ブラジルには広大な農地と安住の地がある」と大々的に宣伝し、人々はこぞってブラジルを目指しましたが、そこは決して楽園ではないが、帰国もままならず、仕方なく頑張ったんだ〜というような認識です。少し調べてみると、当時アメリカから奴隷解放の波が南米へも来ており、大型プランテーション農業の働き手であった奴隷たちがいなくなり、ブラジルは働き手を失っていたのです。そこで、サンパウロ州と移民の送り出しを行なっていた皇国殖民会社が契約を交わし、1908年、笠戸丸がサンパウロ州サントスの港に到着したのでした。

今でこそブラジルの地に根付いて生活している日系人ですが、当時は一旗揚げて、故郷に錦を飾ろうとほとんどの人が思っていたようです。だから、元は出稼ぎ感覚だったようです。その帰国を阻んだのが第二次世界大戦です。戦争が終わっても、食料のない日本に帰るところなどなく、またブラジルで生まれた子供達も成長したこともあり、しっかりとした教育を与え、この地で生きていこうと、やがて覚悟を決めていったようです。

苦しい農作業の中、リタイアする人も多かったものの、勤勉に働き、コーヒー農園のみならず、様々な農作物を育てました。お陰で今でもブラジルでは、かぼちゃ、白菜、しめじ、しいたけ、大根、ネギなどが普通に手に入ります。その上、日系人は常に祖国を想い、戦後の祖国へも たくさんの物資送っていたとか、頭が下がります。

と言うわけで、日系移民の事をちょっと分かった気になっていましたが、アフリカ旅行で知り合ったKさんご夫婦は「私達は45年前に、最後の工業移民としてブラジルへ来たんですよ」とおっしゃって、私が知ってる移民ストーリーとは少し違うお話をしてくださいました。

45年前(昭和48年/1973年)、Kさんは広島で薬品会社のサラリーマンだったそうです。安定した生活を送っていたものの「面白い人生を生きたい」と思って、最後の工業移民の募集に応募したそうです。この年、日本は石油ショック!トイレットペーパーの買い占め事件を知ってる方はそれなりのご年齢とお見受けします。(笑)

遡ること20年前くらいから、ブラジルの工業化や日系企業の進出などに伴い、日本の技術者の工業移民は始まり、当初は主にサンパウロ州モジダスクルーズという街の紡績工場が受け皿となり技術系日系人の多くが働いていたようです。そういえば、今でもこの街は日本風のお祭りが行われたり、日常生活に困らないほど、日本製品が揃っていると、そこに住む駐妻の方がおっしゃってました。

Kさんの場合は、日本の薬剤師免許を持っていたので薬品会社で雇われ、アルジャーという街で暮らし始めました。すると、近所の薬局から薬剤師資格の名義を貸してくれないかと頼まれる様になり、いいよ、いいよ、と言ってるうちに4軒もの薬局に名前を貸してしまったそうです。

ブラジルは、薬局の存在が日本以上に重要です。公的医療機関は、誰でも(外国人も)無料でかかれる代わりに、混んでいて設備も良くありません。「病院で待ってるうちに風邪治っちゃった」という笑い話もあるくらいです。そこで、風邪や胃痛、頭痛などのちょっとした病気の時には医者ではなくて、薬局(ファルマシア)へ行きます。土日は休みの店が多いブラジルにおいて、ファルマシアは24時間営業で、頼りになります。その上、薬剤師さんは、症状を伝えると的確な薬を選んでくれる街のお医者さんなのです。処方箋が必要な劇薬を除いて、薬剤師さんはかなりの権限で薬を出すことができ、注射も打ってくれます。

と、言うわけで、Kさんは会社勤めのお給料よりも多くの収入を得ることとなり、ならばと独立してファルマシアを始めたそうです。始めると日系人のファルマシアは需要があり、2店目、3店目と広げていきました。すると奥様が「ファルマシアの脇で、女性の化粧品を売ったらどう?」と言い出して、女性向けに化粧品を取り扱ったら、大繁盛しちゃったそうです。「まだそう言う店が無かったから評判になって、私、有名人になっちゃった!」とK夫人はお茶目な笑顔で言いました。

ご夫妻は、2人のお嬢さんに恵まれて、日系二世の娘達はブラジル人として大人になりました。でも、K夫人曰く、「初めのお産は日本へ帰国して産んだら、その子はあくまでも日本人扱いなの。移民した私達の子供でも、また1から手続きして。その上、大学を出て弁護士資格を取ろうとしたら、外国人だしブラジル産まれでないからダメだ、って言われたりして、本当に手続きが面倒くさかったの。2人目はブラジルで産んだので、その子は何もかもブラジル人扱い。同じ親から生まれた姉妹なのに〜」と、面白おかしく話ししてくださいました。

73歳になられたKさんは「面白い人生だったよ」と言い、夫人は「45年間、未だに旅をしている気分よ」と明るくおっしゃったのが印象的でした。

でも、Kさんご夫妻のように成功を収めた日系人ばかりではありません。その陰には、悲惨な人生を送られた方、やっとの思いで日本に帰った方など様々だと聞きます。

いまは移民制度はないものの、ブラジルに根付いて様々な生き方をしている日本人にも、ここへ来てから知り会いました。農業大学で研究者としてブラジル実習に来たことをきっかけに、栗農園を経営することになったNo子さん。父の仕事の関係で子供の頃にブラジルへ来たものの駐在が長引き、結局はブラジルで大学まで教育を受け、日系ブラジル人と結婚したSanさん。フルート奏者として日本とブラジルの両方で活動しながら、ブラジル人の夫と子育てするH美さん、などなど。懐の広いブラジルは、まだまだ外国人を受け入れてくれるキャパがありそうです。

実は、ブラジルの移民法では、永住を希望する人も、私達のように転勤で一時的に居住している人もみんな「移民」として扱われます。私達も法律上は短期移民者。永住する時には、ブラジル国内で手続きを行わねばなりませんが、その法律は「ブラジルへ来た全ての人々の権利を守ります」とし、入国を拒まず、ブラジル人同様の権利を保障する、なんとも懐の深い法律なのです。限られた駐在期間ではありますが、その昔人生を賭けてこの地へ来た日本人達のことを想い、私も現地に溶け込み、本物のブラジレイラ目指して頑張ろう!


●サンパウロ・リベルダージ(東洋人街)には、移民110周年に眞子様がいらした記念碑が立っています。
●もし、サンパウロへ行く機会があったら、移民に関する事を伝えるこの資料館へ行ってください。当時の暮らしや、知らなかった事がたくさん見れます。

●日系人が農作物の栽培に尽力した結果、こんな食材が簡単に手に入ります。
●Kご夫妻とご一緒したアフリカ旅行。言葉にしなかったご苦労もあったとは思うけど、今は人生を楽しんでいる素敵なお二人でした。

セニョーラ・プリマベーラ

キャリアコンサルタント、ファイナンシャルプランナー。

夫の海外転勤をきっかけに、20数年間勤めた金融関係の企業を辞め、フリーランスになる。その後、地球の裏側ブラジルで人生初の専業主婦となる。知り合いもいなく、仕事をしない生活、収入のない自分の帰国後のキャリアも心配だけど〜〜今いる環境の中で、いかに心身ともにキレイに生きていくかを模索中。

女性も職業を持つのが当たり前の現代では、夫の転勤とは言え、様々な問題が立ちはだかります。私と同じように自分のキャリアとの狭間で悩んでいる人、これからその可能性のある人、、たくさんいらっしゃるはず。

キャリア=仕事だけでなく、ライフキャリア=人生そのものについて、一緒に考えてみませんか?

筆者:世界遺産イグアスの滝をバックに
滝のように人生は?レインコートは、イグアス国立公園のマスコット動物、アナグマ現地のオリジナル




この記事へ 5 件のコメント

Nathy

2019年5月27日 at 4:48 pm

遠いブラジルへ移住して、言葉や文化も分からず本当に苦労された方々が多かったと思います。成功された方もいますが、確かに成功に繋がらなかった方もいます。日本へ帰る事も一度も出来ず、心の中に遠い日本の思い出だけで他界された方もいます。日系方も祖父や祖母の苦労を存じている事で今も頑張っている方も多いです。

Mia Friday

2019年5月27日 at 7:10 pm

移民のお話。奥が深いですね。
成功を収めた人もそうではない人も、それぞれ想像を絶する苦労をされているのでしょうね。
祖国に帰りたくても帰れない悲しみなども言葉にはならないかもしれません。

romama

2019年5月27日 at 10:01 pm

ブラジルへ旅行した時、私も強く日系人のことが印象に残ったのを今でも思い出します。
プリマベーラさんがオススメしている移民資料館、
今思うとなぜ見なかったのか!残念です。
日系人の方々のご苦労と頑張りは、日本人が知らないならないことですよね。

イワちゃん

2019年5月31日 at 5:49 pm

日系移民の方たちの様々な人生があって今がある…としみじみ読ませていただきました。ほんと、歴史は過去のものではないと感じます。
それにしても、ブラジルに来た全ての人の権利を守りますという懐の大きさにも感服しました。
私は、国境という感覚に乏しい日本人ですが、地球市民という感覚を持ち続けていきたいなと今一度思わせていただきました。
あらためての気づきをありがとうございます!

ola

2019年6月4日 at 4:15 pm

移民の話、知らない事ばかりでした。
そしてブラジルが日本より遥かに海外からの在住者に寛容な国だと言うことも。
現地からならではのレポ、毎回、興味深く読ませていただいています。

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