投稿日:2019/08/19

ブラジル発「駐妻」に転職しました!
〜 ワーキングウーマン の ポジティブ ラテンライフ 〜

 
この広い地球の中で、同じタイミングで同じ土地に赴任し知り合う、と言うのは浅からぬご縁を感じます。日本では出会わなかった人に、地球の裏側で知り合えたのはきっと何かの意味があるのだろうと、遠いブラジルへ来てからは特に思います。

海外での出会いと言うのは、日本で会うのとはまた違って「同士」みたいな感覚があります。ほんの何年かですが「海外」という同じ船に乗っている運命共同体のようなもの、ここでしか感じられない感覚です。

現に、かつて香港で知り合った人達と今でも繋がっているのは、その感覚を共有出来て、公私を超えてあの頃とは異なった立場ながらも、いいお付き合いが出来ている事に感謝します。限られた環境の中で、それなりの不便さと戦いながら、共に乗り切った戦友のような感じでもあります。

当初、ブラジルの暮らしはそんなに長くはないと思っていた事もあり、濃い人間関係は作れないと思っていました。全員と友達になれる訳もなく、表面的付き合いになるんだろうと、タカをくくっていました。が、やはり人間関係って自然と広がったり、深まったりしていくんですね。いや、自然とというわけではないか?

私がこちらへ来て半年ほどした時、カンピーナスの妻達の中で2番手のA子さんが本帰国の運びとなりました。会社の命により海外へ来た駐在員も、いずれはまた日本へ戻るか別の国へ行くか。本人に辞令が出れば、さあ〜大変!家族は、そこから準備が始まります。赴任する時も自分の意志ではなかったけど、戻る時もまた突然その時を知らされて、動かねばなりません。A子さんは、2人のお子さんを連れての5年間の駐在生活でした。小さかった下のお嬢さんは、ブラジルで幼稚園へ行き、小学校に上がりました。姉妹はインターナショナルスクールへ通っていたので、英語とポルトガル語の日常から、日本語どっぷりの生活になります。

案の定、帰国が決まった後、下のお嬢さんが帰りたくない、と何日間も泣き続けたそうです。彼女にしてみたら、日本の暮らしは未知の世界、怖くて当然です。そんな娘達をケアしながら、A子さん自身もブラジルとどうやってお別れしようかと、一日一日をとても大切に生活してるように見えました。彼女は、気配りの人でしたから、残る私達の生活に役立つようにとお店のリストや、情報を伝授してくれました。

お別れランチ会では、お付き合いの長い人達が中心になって、写真をコラージュしたアルバムに、それぞれが書いたミニメッセージカードを寄せ書き風に貼り付けてプレゼントしました。私の知らない、5年間のA子さんと皆んなが並ぶ写真を見て、その歳月は決して短くはなく、人生の中で大きな意味を持つ5年だったと感じさせました。「この月日は私の人生のご褒美でした」と、さすがのA子さんも最後は号泣。見送りにも行った時も泣いていました。やり遂げた感のあるA子さんだからこそ、涙が止まらなく、でもそれはなんとも清々しいものでした。

年が明けて、日本の年度末が近づくと、本帰国ラッシュとなりました。やっと帰れる〜〜と思っている人もいれば、予定外の帰国命令に困惑する人もいます。

H子さんは、5年の任期と言われながらも、突然の帰国命令で2年間の駐在生活にピリオドを打つことになりました。H子さんはサンパウロ市内に住んでいるので、個人的にランチの約束をして会いました。会社の命令だから仕方がない事だけど、こんなはずじゃなかった、と何度も繰り返し言っていました。彼女は好奇心も旺盛でかつ努力家なので、早々にポルトガル語を身につけて、アクティブに行動していました。ブラジル人の友達もたくさん出来、これから行きたいところ、やりたいこともたくさんあった様です。

帰国が決まり少しホッとしているご主人の姿を見ると「2年前も振り回されたけど、今回もー」と言いつつ、自分ではコントロール出来ない現実を必死に受け入れようとしていました。そして、休職していた会社に復職の手続きをした事、ご主人は次の勤務地の都合で国内単身になる事、日本に残して来た大学生の娘さんと自分は同居する事、などを噛みしめるように、まるで自分に言い聞かせるかのように淡々と語ってくれました。

他にも、夫婦で懇意にしていたご夫妻が大阪へ帰ることになりました。定年が近い方だったので、4年半の任期をしっかりと終えて、こちらはホッとした様子で、お孫さんの待つ日本の生活を楽しみにしていました。

どの方とも、ここから先が本当のお付き合いになりますね。ここでサヨナラしても、これからどう付き合うかが、より大切かも。

夫達も、社内で一定数の帰国者がいるので、送別会の日々が続きます。3年前に夫と同日に赴任された方も一人、この度帰任となりました。と、言うことは、うちもこの先いつ帰れ、と言われてもおかしくない時期に来ているということです。他の方の異動の様子を見ながら予測する以外、帯同家族にはその日がいつ来るのかを知る術はありません。駐在員本人にしても、確実な期間を知らされることなく仕事に取り組む訳ですから、その心中は複雑なことと思います。

この方は単身でしたが、この3年間ほとんど旅行も観光もせずに過ごしたとか。周囲は勝手にさぞかしお金が貯まったに違いない!なんて言っている一方で、2年間、土日や休みと言えば南米中を旅して、実に23カ所を周り「従って口座残高は今、2000レアルちょっとです」(日本円で6万くらい)なんてスピーチをして、送別会で周囲の笑いを取った人も居たようです。

どの様に過ごしても、いずれはこの地を離れなくてはならないのが駐在員であり、さらにそのタイミングで否応なしにここでの暮らしを強制終了させられるのが帯同家族です。その最後の時に、どんな思いでいられたら、良かったと言えるのでしょうか?名残惜しい気持ち、日本へ帰ることの期待、または不安?知り合った人達とのお別れの寂しさなのか、限定的人間関係からの開放感なのか。みな、それぞれの想いを胸に、戻っていくわけてですが、それもまた新たなスタートとしてストレス無しではいられないのです。海外転勤は、行くときも帰る時も、覚悟が要るものです。

そんなこんなで、夫達が頻繁に送別会で遅くなると言うので、そのうちの1日は妻達だけでディナーへ行く事を企画しました。ブラジルへ来たばかりの頃は、夜は絶対に外出出来ないものと決めつけていましたが、安全そうな地域にある、ちょっとステキなレストランへ繰り出しました。「夜遊び隊結成」なんちゃって、昼間とは違い、妙にウキウキしました。夫なしの夜のお出かけをしたのは、全員初めて。

お別れの季節は、妻達をちょっとだけ自立した気持ちにさせてくれる、特別なシーズンとなりました。

●本帰国間際のA子さんのお誕生日ランチもステキな思い出となりました。
●住み慣れた街の大好きな場所ともお別れです。

●「夜遊び隊」は、ドキドキしながらの妻達だけの初ディナータイムです。
●どこを経由してもサンパウロから日本まで25時間以上、本帰国の時はどんな気持ちになるのかな?

セニョーラ・プリマベーラ

キャリアコンサルタント、ファイナンシャルプランナー。

夫の海外転勤をきっかけに、20数年間勤めた金融関係の企業を辞め、フリーランスになる。その後、地球の裏側ブラジルで人生初の専業主婦となる。知り合いもいなく、仕事をしない生活、収入のない自分の帰国後のキャリアも心配だけど〜〜今いる環境の中で、いかに心身ともにキレイに生きていくかを模索中。

女性も職業を持つのが当たり前の現代では、夫の転勤とは言え、様々な問題が立ちはだかります。私と同じように自分のキャリアとの狭間で悩んでいる人、これからその可能性のある人、、たくさんいらっしゃるはず。

キャリア=仕事だけでなく、ライフキャリア=人生そのものについて、一緒に考えてみませんか?

筆者:世界遺産イグアスの滝をバックに
滝のように人生は?レインコートは、イグアス国立公園のマスコット動物、アナグマ現地のオリジナル




この記事へ 6 件のコメント

Nathy

2019年8月22日 at 6:55 am

読んでいて自分が海外に住んでいた時の事を思い出しました。確かに作り上げた友達は今でも大切です。そして帰国後のリハビリにしばらく時間かかりたした…

おいちゃん

2019年8月22日 at 12:12 pm

転勤はサラリーマンの悲哀と簡単に思っていましたが、セニョーラ・プリマベーラさんのお話で、家族にも大きな影響を与えていることを感じるようになりました。
当の本人より、家族のほうが人生を変えてしまうことも多々あると思い、自分がその立場になったらどうなるのか興味があります。
土地や期間の長さにとらわれず、楽しめるだけ楽しんでいるセニョーラ・プリマベーラさんのスタミナは相変わらず凄いと感心しています。

はは

2019年8月22日 at 5:18 pm

セニョーラ・プリマベーラさんの記事をいつも楽しみに拝見しています。今回は、20代半ばで海外赴任に旅立った娘に想いを馳せながら読ませていただきました。このまま一カ国で帰ってこれるのかしら? それとも、このまま次の国に移っていくのかしら? 日本で一人待っている家族としては、そんなことがいつも頭をよぎります。
とはいえ同じ親としては、これから母国の文化に溶け込むお子さんの、ケアに携わる親御さんの心労を思うと、思わずエールを送りたくなります。

それにしても、どんな出来事も、いつも前向きに切り替えていくセニョーラ・プリマベーラさんのパワーには、脱帽です。
「夜遊び隊」も楽しそうですね♫
またもや、プランドハプンスタンス理論が頭に浮かんできました 笑

コアラ

2019年8月22日 at 10:30 pm

日本国内ですが、8回夫の転勤について行きました。まだ今も会ったりしてる人はいますが、年賀状だけの付き合いになってしまっている人もいます。でも現在の付き合い方はともかく、転勤先で出会った友達を想う時、まず感謝の気持ちがわき起こって来ます。それ程支えてもらってたんでしょうね。

ola

2019年8月26日 at 5:54 pm

駐妻の皆様は、環境が大きく変わる度に、気持ちの切り替えをしてベストな対応を探していらっしゃるんですね。
国内にずっといると気がつかない貴重な経験ですが、全てご順調に行くとは限らない中、プラス思考で乗り切っていくプリマベーラさん達はすごいと思います。

MOTOKO

2019年8月31日 at 8:53 am

夫についての 海外での暮らし… いろいろな形もあらまますが、妻は 予期せぬ 様々な事に鍛えられ、皆々「逞しく!」成長していかれると思います。
私も、4年間 ロンドン生活でしたが、その時 ご縁を持ちました お友達とは、今でも…☆ 言葉がなくても、同じ 苦労を⁈ 共にした 連帯感、一体感は 薄れることなく ですネ! そして、本帰国してからの ご苦労も、ある程度 察する事もでき、皆々 皆さまに、エールを送る日々です。
プリマベーラさんも、大事な大事なご友人が また 増えられましたネ (╹◡╹)♡

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