投稿日:2019/09/13

ブラジル発「駐妻」に転職しました!
〜 ワーキングウーマン の ポジティブ ラテンライフ 〜

 
この週末も「親の具合が悪くなったので、ちょっと帰国します」というコメントがグループラインに来ました。ここへ来てから、駐在員家族が親の事で急遽日本へ駆けつけたのは、一度や二度ではありません。中には残念ながらということもあり、日本にいる年老いた親たちの事は、駐在員家族に限らず、海外在住者にとっては、いつも心に引っかかっている切ない課題です。

駐在の場合、辞令が出たら教育問題、妻のキャリア、留守宅の管理など様々な事を短時間で決断し、旅立ちます。中高年の転勤ともなると自ずと親のことも念頭に入れて動かねばなりません。

実際、我が家でも夫の母の事であわや単身赴任延長か!という事が有りました。義母は数年前から認知症が進み、施設で暮らしています。施設に入居出来たのも夫が赴任する直前で、その後私が会社を辞めて渡伯の準備に入った頃から、毎月のように入退院を繰り返すようになりました。体調を崩したり骨折したり、施設の電話番号がスマホに映し出されるたびに生きた心地がしませんでした。夫は次男ですが、若くして兄が他界してしまったので、義父亡き今、義母のことは彼の肩に掛かっていますが、実際にはすでに地球の裏側。

と、なると、この義母を残して私までブラジルへ行って良いものか?という考えが浮かぶ反面、私が会社を辞めたのは介護の為ではないし、ただでさえ、仕事を続けるのか、ブラジルへ行くのかと悩みに悩んでやっと出した結論なのに、この流れに押されて思いがけない方向へ行きはしないかと、内心穏やかではありませんでした。それでも、義母が4回目の入院をした時に「このまま予定通りに、私はブラジルへ行って良いものだろうか?」と、夫に切り出してみました。単身遠隔地にいるせいか、夫はリアルな状況を飲み込めない様子で、少しだけ面倒臭そう。

なんで?あなたの母でしょ?と、まるで人ごとのように反応する夫に少なからず腹が立ちました。冷静に詳細を説明し、とりあえず私の渡伯手続きなどは並行して行い、様子を見る事になりました。幸い、暖かくなり義母の状態も安定し、私は夏の終わりに渡伯しました。後のことは、義姉に託して来ましたが、義兄は亡くなっているし、義姉にも仕事があるし、と思うと心苦しくてなりません。今は大丈夫でも高齢です。いつ、何時、何が起こるかは分かりません。それは義母だけでなく、未亡人になってからますます元気に一人暮らしをしている私の母にも言えることです。

最近、年代の近い人と話すと、この話題。みんな、同じように幾分かの想いを残して日本を発っています。合わせて「もしも」の時に、物理的距離だけでなく、気持ちの上でも一体どこまで親に寄り添えるのか、という疑問が脳裏をよぎります。普段、離れて暮らしているので、親がどんな暮らしをしているのか、実のところ定かではありません。何を食べ、どんな人に会い、薬は何を服用しているのか?深刻な状態になった時、延命を望んでいるのかいないのかも想像の範囲を超えません。そして、万が一の時発生する金銭問題。その辺の事はどうなってるのか?どちらか一人残された親のことはどうする?国内でも離れて暮らしていれば同じかもしれませんが、海外だと、その時は突然訪れて、そして来た時と同じようにバタバタと色々な事を解決しなくてはならないのは、想像するに容易いのです。

なのに、よく考えてみると、親と予め話し合ってる人は多くありません。ボランティア仲間たちと「終活」と「グリーフケア」について話し合う機会がありました。日本にいる親が「終活」についてどんな風に考えているか、訊いてみたいけど、切り出しにくいという意見も多かったです。事実、特に父親はそういう話をすると怒り出したり、黙り込んだりという実例もありました。たまの一時帰国の時に、話をするにしても、どこから話し始めたら良いのか?モヤモヤします。また、大切な人と死別した人が悲嘆(グリーフ)を受け入れ、立ち直り、再び日常生活にて復帰することを、見守り支える配慮・心遣い(ケア)についても、心理カウンセラーをしている仲間から学びました。保険会社にいた時は仕事柄グリーフケアのことは知っていたけど、自分の親と結びつけて改めて考えました。

実の母から「手術する事になった」という知らせをもらったのは、ちょうどその頃でした。よく聞いてみると、加齢による白内障で、延ばし延ばしにしてきた手術をそろそろ、と医師からの強い勧めがあったようです。日帰り手術を片目ずつ2週間にわたって行うので、サポートを必要としていると、普段は自立している母が、いつになく気弱そうに伝えて来たので、一時帰国をして付き添う事にしました。合わせて、義母の様子も見に行けるしと、1ヶ月の帰国予定を立てました。

手術自体はあっという間に終わりましたが、眼ですので、術後は歩くのもおぼつかない中、翌日と翌々日は経過観察のため通院が必要です。また、自宅で1日3回目、4種類の点眼と飲み薬で治療を続けなければなりません。母の家に泊まり、日中ほとんど一緒に過ごしました。私は25歳で実家を離れているので、こうして母とべったり何日間も過ごすのは、実に数十年ぶり!何気ない会話で、母の友達や知り合いの事、叔父や叔母の話などしていると、自然と母がどんな人生のまとめ方をしたいのかが理解出来てきました。少し冗談混じりに、弟と三人でいる時に「もし、私が死んだら〜〜」と言うような事を言うようになった母も、何かを感じ意識的に伝えようとしているように感じました。

でも、基本的には、親子の間で、いや、親子の間だからこそ、デリケートな話題が、終活問題です。いつかは話し合わねばならないのだとしたら、例えば有名人や知人の事を例に出して、こんな事があったみたいだけど〜もし、そうなったらどう思う?なんて話すのが良いのかもしれませんね。殊更、大金持ちより小金がある時の方が相続では揉める事を、前職でも経験しているので、少しずつ日頃の会話の中で確認も必要です。親も心の準備が出来たら、話しておきたいという気持ちはあるようですから。

それにしても、心残りは認知症になってしまった義母の事です。もう、本人の希望を聞くことは出来ません。体調としては低め安定の日々となっては居ますが、もっと以前に色々訊いておけば良かったと思います。夫はそんな後悔があるのか、変わり果てた母親の姿を受け入れられないのか、殊この件に関してはビジネスライクで、不機嫌極まりないのです。男性はこの手の話に弱いかなぁ。

手術は簡単なことでは無かったけど、このタイミングで、母との濃密な時間が持てたことは何よりでした。義母にも、1ヶ月のうちに数回会いに行って、日によってチューニングが合わない日もありますが、会話のキャッチボール出来た日もあり、一時帰国は大いに意味がありました。遠くにいると、もうそれだけでどうにもならないのです。だから、海外にいるからには、会いたい人には会いたい時に会いに行く!という覚悟と行動力が常に必要だと、痛感しました。

皆さんも、ご両親を大切に!


●会いたい時には会いに行く!とは言うものの〜 日本まで飛行時間だけで25時間超。どこを経由しても、往復すれば地球一周。
●ブラジル人は家族や親戚で食事する事が多く、この日のこの家族は、おばあちゃんのお誕生日会の様でした。

●久しぶり、母の手作り朝ごはん。何でもない物が美味しい。
●地球の裏側から、お誕生日はお花を贈ることにしてます。こんなサービスがあるこの時代に感謝。

セニョーラ・プリマベーラ

キャリアコンサルタント、ファイナンシャルプランナー。

夫の海外転勤をきっかけに、20数年間勤めた金融関係の企業を辞め、フリーランスになる。その後、地球の裏側ブラジルで人生初の専業主婦となる。知り合いもいなく、仕事をしない生活、収入のない自分の帰国後のキャリアも心配だけど〜〜今いる環境の中で、いかに心身ともにキレイに生きていくかを模索中。

女性も職業を持つのが当たり前の現代では、夫の転勤とは言え、様々な問題が立ちはだかります。私と同じように自分のキャリアとの狭間で悩んでいる人、これからその可能性のある人、、たくさんいらっしゃるはず。

キャリア=仕事だけでなく、ライフキャリア=人生そのものについて、一緒に考えてみませんか?

筆者:世界遺産イグアスの滝をバックに
滝のように人生は?レインコートは、イグアス国立公園のマスコット動物、アナグマ現地のオリジナル




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